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国外居住親族に対して現金を手渡しした場合の扶養控除の適用について

結論からいうと扶養控除対象とすることは、出来ない。

上記表題の親族が扶養控除の適用を受けるには、親族関係書類及び送金関係書類を確定申告書の提出の際に提示することとされているため、手渡しした場合には、送金関係資料が無いことになるためである。

国連の経済封鎖措置を受けている国に居住する親族へは、金融機関等を通じた送金が出来ないため、現地に赴き手渡しで生活費等を手渡ししざるを得ないそうである。

 

 

2016/05/19新着情報

「クアラルンプールの日本人会訪問記」・・・その2

3月28日文からの続きです。

昼食後、ホールで趣味のサークル活動を見学できるとのことで、スクウェアーダンスの時間帯であつたので見学に行きました。参加者は女性が6人、男性がひとりで練習を終了したところでしたが、強引に仲間に入らされ教えられるままにそれらしき体の動きをしてみました。男性が足りないので、入会を勧められましたが、私は移住者では無いため、入会資格は無く楽しい余韻を感じながら引き上げました。

夕方近くに日本人会の会長ご夫妻との食事会がありました。既にクアラルンプールに居住している2組のご夫婦と私が「新人」という紹介をされたのですが、たまたまこの日の夕べはマレーシア観光局のプロモーション・ビデオの作成を行うとかで司会者、監督、カメラマンが忙しく動く中、私もセリフのある「出演者」のような役割を突然仰せつかり、監督(日本人会長の奥さん)からの質問を受けながら答えるというカットに出演しました。元々役者志望でした(マサカ!)ので、楽しかったです。

 

下見ツアーには参加しましたが、10年ビザを取って直ぐに移住という訳には行きませんが、将来的に実行するキッカケには多分なるでしょう。しかし、私の女房はとても一緒に移住するなんてことは、夢にも考えないでしょうから「卒婚」の一形態として、これから何とか工夫(?)をしてみます。

昭和33年からテレビで放映された「快傑ハリマオ」が活躍した舞台はマレーシアで、ワクワクしながら毎週テレビの前にかじりついていました。「団塊世代」の少年時代の手にかいた汗が雫としてマレーシアの緑濃いジャングルの葉に滴っています。

2016/04/30新着情報

「クアラルンプールの日本人会訪問記」

3月21日にマレーシア/クアランプールの日本人会を訪ねました。

MM2Hビザ(10年ビザ)の取得等のサービス・エージェントが募集した下見ツアーの内容の一部です。

日本人会の訪問は、ツアーの3日目で、ホテルのロビーでエージェントのスタッフと待ち合せましたが、Iさんという日本人のスレンダー美人で英語を流暢に話し、まさにインターナショナル・キャリア・ウーマンの典型という印象を受けました。

日本人会訪問の前に、事前にお願いしてあったスポットを含め様々な施設を案内してもらいましたが、初めに案内されたのは日本人墓地でした。多数のツアー客の中で日本人墓地を案内スポットに指定したのは、私が二人目だそうです。

私が指定した案内スポットのもう一つは、外国人のためのインターナショナル・スクールです。私のクライアントの家族(母親とその子供)で、当地の当該スクールで英語や中国語を習得するため母子で移住した方もおり、テレビからの情報でも興味があったためです。

大病院に案内されて、日本語が堪能なドクター(中華計マレーシア人)を紹介されましたが、当地では、大きな建物の中にテナントの様に診療所がある点が、日本と異なる仕組みです。同一の診療科が複数ありますので、評判のいい,又は自分に合いそうな診療所を選ぶことが出来ます。

日本人会の会館の中にある日本食堂で、焼き魚定食を食べました。従業員は中華系なのか日本人なのか見分けが付きませんでしたが、日本にいるような雰囲気の中でホッとするひと時でした。

この後の模様は、次回にします。

 

 

2016/03/28新着情報

「マレーシア・マイ・セカンド・ホーム・プログラム」

マレーシア政府が1987年に始めたもので、当時は「シルバーヘアー・プログラム(銀髪計画)」と呼ばれ、2万人を目標にしていたそうですが、2001年末までの申請者が800人と振るわなかったため、2002年申請条件の大幅な緩和策を打ち出し、制度名も日本語訳で「私の第二の故郷計画」と改名しました。

歓迎されざる申請者や参加者が目に付くようになったことへの対策としても、制度内容の変更が行われたようです。

マレー(マレーシア)といえば、「マレーの虎」と呼ばれた山下奉文大将を直ぐに思い起こす世代は、私の父の世代でしょう。

私の世代は、まだテレビが少なかった1960年4月から放映された「快傑 ハリマオ」の印象が強烈に残り、マレーと言えばこれしか無いのです。

主題歌の「真っ赤な太陽燃えている  果てない南の大空に・・・」の歌詞は今でもそらんじて歌えます。年齢を重ねた今、マレーシアに対して持つ印象が更に強くなり、その不可思議な魅力に引かれるようになりました。

そのキッカケは「ご褒美人生マレーシア」(イカロス出版)を手にしてからです。著者の坂本恭彦氏は大手商社を退職したのち、マレーシアに移住し、このプログラムの推進に尽力されている方だそうです。

移住者の年齢が50歳未満とそれ以上の区分で経済的な資格条件が異なりますが、このプログラム用のMM2Hビザ(滞在期間10年)の取得時には経済的条件が厳格に適用されるとのことです。

現在、このビザの取得者は約1500組だそうですが、2011年3月の東日本大震災以後増加傾向にあるそうです。

来月に日本人会等の見学ツアー(随時一人参加可)に参加しますので、報告いたします。

2016/02/15新着情報

「出石蕎麦と出石城」

9日の小旅行について。

「出石」を「いずし」と読める東国方面の方は、少ないと思われますが、城郭ファンやいわゆる小京都ファンには、別格の城下町であると思われます。

出石蕎麦を先に書いたのは、この蕎麦を賞味するために訪れる観光客の方が多いと思われるからです。

私は元祖蕎麦の郷の信州人であり、「いばらき蕎麦の会」の創立以来の会員であり、こと蕎麦に関しては独特な感性を有していると自任していますが、この出石蕎麦の美味さは群を抜いています。一番人気の皿蕎麦を注文すると、きざみ葱・とろろ・生卵付きで、汁は成分不明のやや甘味があります。追加一皿130円ですが5皿追加し計10皿を一気に食しましたが、ネギ等が無くなりましたので、ストップしました。但馬訛りの「蕎麦湯どうぞ」が何とも心地よい響きで蕎麦の美味さに更に味を添えています。実はこの蕎麦は信州上田の大名仙石家が出石にお国替えになったときに蕎麦職人も連れていったことからという由来を知ると合点がいきました。

石高5万8千石にしてはやや小ぶりなお城ですが、城の周辺には清流が勢いよくながれ、城郭ファンにはたまらない魅力があります。

それにしても、出石は遠い。6時の新幹線で出発し、京都・福知山・豊岡と乗り継ぎ、バスで30分かけてやっと着きました。11時半過ぎでしたが、訪ね甲斐のある城下町です。

2016/01/14新着情報

「タワマン節税」はもう出来ないのか?

「タワマン節税」とは、高層マンション(タワーマンション)の物件で同じ広さなら高層階でも低層階でも評価額が変わらないので、より市場価格の高い高層階の物件を購入し、相続後に売却することで、現金を相続した場合などに比べ相続税を大幅に抑制できるとされることから、このような取引により納税額が大幅に下がることをいうようです。

10月27日の政府税制調査会で一人の委員が「資産家しか使えない節税策は執行面の見直しをしてほしい。」と税務当局に注文を付けたことが発端らしい。

財務省では、「明確な基準となる通達の作成を含めて検討する。」との雰囲気であるが、もともと財産評価基本通達の総則6項の文言としては、下記のとおりの規定がある。

・・・(この通達の定めにより難い場合の評価) 6 この通達の定めによって評価することが著しく不適当と認められる財産の価額は、国税庁長官の指示を受けて評価する。・・・

評価基本通達に定める評価方法を画一的に適用した場合には、適正な時価評価が求められず、その評価額が不適切なものとなり、著しく課税の公平を欠く場合も生じることが考えられる。このため、本項では、そのような場合には個々の財産の態様に応じた適正な時価評価がおこなえるよう定めている。(解説文)

これで、タワーマンションの最上階に近くの物件の販売が影響を受けますかね?

2016/01/04お知らせ所長ブログ新着情報

「ベトナムの日本語フリーペーパー(SKETCH)」から

ベトナムの日本語フリーペーパー(SKETCH)を購読しています。現地ベトナムではもちろん無料配布されていますが、一年間の購読代は、6千円位です。

総グラビアで200ページもあります。ベトナム全土への進出日本企業や飲食店等の広告が多数掲載されていますが、大企業が主体であろうという予想と異なり多彩な顔ぶれで意外な感じを受けています。

ベトナムはホーチミンに2回、ハノイに1回行きました。ハノイの国際空港から市街地に向かう道路の周辺には、名立たる日本の大企業が集まっている工業団地があり、壮観でした。

しかし、このフリーペーパーに掲載されている広告主は、日本料理店・医院・居酒屋・キャバクラ等日本の繁華街の雰囲気そのものです。

ハノイは一人で訪れましたが、ベトナム人ガイドさんに「今回は、観光ですか?ビジネスですか?」と聞かれました。ガイドさんは、何か言いたげでしたが、ハッツキリせず、多分・・・・・のことかな? と後で推測しました。

このフリーペーパーには日本人のためのサークルが日本と同じくらいの種類もありました。各県人会も多数あり、いかに在住日本人がベトナムに多いかということを物語っています。

ナイト・ラウンジ(キャバクラの類でしょうか?)のテーブル・チャージは、45万ベトナム・ドン前後ですから、日本円に換算して2.200円位です。酒類を嗜まず午後9時には就寝する私には無関係なところですが・・・・・。

夜のベトナム空には、日本と同じ形の月が照っていますが、故国を離れて眺める人々には、郷愁を誘うものでしょう。夜は日本が恋しくて酒がいちばん

2015/12/22所長ブログ新着情報

「英語化は愚民化」・・・(施 光恒 著)が売れているらしい

表題の新書の副題が「日本の国力が地に落ちる」です。

宗教改革で有名なマルチン・ルターは、世界史の教科書の記述では、・・・聖書ドイツ語に翻訳し・・・とあったのはおぼろげ乍ら記憶にありましたが、この著書ではラテン語やギリシャ語で書かれていた聖書を普段の会話語であるドイツ語に翻訳したことが、キリスト教の布教に画期的な影響を与えたとあります。

確かに、一般庶民は、ラテン語などは皆目意味不明であったでしょう。このことが表題に繋がると著者は力説しています。日本人にノーベル賞の受賞者が続出しているのも外国語ではなく、日本語で学び思考したからであると断言しております。

明治維新より諸外国から日本に入ってきた学問や様々な知識等は当時の有識者により即座に日本語に転換されてきたことにより、日本語で輸入学問を探求したことが現在の日本の諸状況の大きな要因となったとしています。

現在、著名な経営者が社内の公用語としての英語の採用を公表したり、早期の英語教育を唱えるグループが出現しています。アジア諸国の内ある国では、母国語に英語訳が付されていないために、数学や理科等の授業は英語で行わざるを得ないのであって、英語化を促進している訳ではないのが現実らしいのです。

即時通訳に近いソフトやアプリが実用化されてきていますが、相対で生の会話をしたいという欲求は依然としてあります。しかし、母国語の理解を不完全にしたままでの英語化や英語教育は本末転倒かも知れませんね。

 

2015/12/15所長ブログ新着情報

「入カンボジア記」・・・その②

現地の日本語生活情報誌「ニョニョム」が運営するニョニョム・ショップに行こうとして、トゥクトゥク(バイクに荷台が付いたもの)に乗車したが、目当てのショップになかなか辿り着けなくて往生しました。

ガイドブックにも注意事項が記載されていましたが、降車時に料金の割り増しを請求されました。日本での感覚からすると安価でしたが、運転手の要求額を半分くらい値切りましたが、それでも良い稼ぎになったようで、笑顔で別れました。

店に入ると若くて色白の日本女性が出迎えてくれました。20代前半とのことですが、カンボジアでビジネスをやるために入国したとのことで、凛としてとてもチャーミングでした。オジサンのファンらしき中年日本人の男性が頻りに彼女に話しかけるため、当方は会話を継続することが出来ませんでした。再訪する予定であると曖昧に告げ、ショップで道順を聞いた「イオンモール」に行くことにしました。ショップの経営者らしき日本人男性に交渉してもらい、格安でトゥクトゥクを利用することができました。

イオンモールに着くと驚愕の声を同行者と一緒に挙げました。プノンペン市街の雰囲気とは打って変わって別世界でした。駐車場には多数の新車然とした車両が並び、「レクサス」が目立つのにはビックリしました。

入店して更にビックリ。商品の種類の豊富さと食料品の値段が日本並みで、誰が買うのかと訝しることしきりでした。いわゆる中間層が育ってきているのでしょう。

2015/12/03新着情報

「入カンボジア記」・・・その①

8月の上旬にカンボジアのプノンペンに行ってきました。同行者は、7月のホーチミンと同様に建設会社の社長さんのK氏です。

日本では最近になって、アンコール・ワットの状況等しか報道等がされていませんでしたので、ポルポト派との内乱の印象が強く、ベトナムの隣国であるにもかかわらず、日本からはかなり遠い国であるとのイメージしかありませんでした。

確かに「遠い国」ではありました。観光でしたが、短期ビザが必要で、日本からプノンペンまでの直行便は無いため、ベトナムのホーチミン経由で渡航しました。ベトナム航空便で、成田空港を午前9時30分にたち、ホーチミンで2時間半待機してプノンペンに着いたのは、現地時間で午後5時近くになっていました。

主だった観光名所は見学しましたが、市内の建造物やインフラの状況等を「視察・検討」するのが、主たる目的でしたので、プノンペン市内を歩きに歩きました。カンボジアの建物様式は、建設会社のk氏のビジネス・イメージに合致しなかったようです。

ベトナムとカンボジアをカラーコントラストの視点で受ける印象は、ベトナムのペール・トーンとカンボシアの踊る原色という表現になります。ベトナムは一見組み易しと判断されますが、カンボジアの眼に突き刺さる強烈な原色のイメージはいつまでも残影として漂います。

この後も投稿が続きます。

2015/09/04新着情報海外諸事情

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