「浅草界隈街路・横丁縦横」・・・すしや通り
雷門通りと六区興行街を結ぶ80余年の歴史を持つ商店街です。通りの名称の起源は、六区興行街の発展と歩調を合わせ寿司屋の店の数が増えたことからだそうです。現在は3軒しかありませんが、存在感が大きく通り名と違和感はありません。
最近アーケードがリニューアルされより明るい雰囲気になっています。
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雷門通りと六区興行街を結ぶ80余年の歴史を持つ商店街です。通りの名称の起源は、六区興行街の発展と歩調を合わせ寿司屋の店の数が増えたことからだそうです。現在は3軒しかありませんが、存在感が大きく通り名と違和感はありません。
最近アーケードがリニューアルされより明るい雰囲気になっています。
アド街ック天国でも何回も紹介されていますが、つくばエクスプレス開通に合わせて、江戸情緒豊かな街並みになりました。
この通りを歩きながら視線を上に向けると、楽しい「仕掛け」がたくさん有ります。
通りの北側には、同一間口の非常に個性的な店舗が30店舗以上連なっています。
ど派手な舞台衣装の店、江戸駄菓子の店、「浅草メンチ」の店、舞台小道具等のお店が有り、一軒毎に楽しめます。
通り名の由来は調べても分りません。夜の街路灯の照明は見事です。季節により照明や飾りに工夫を凝らしますので大変楽しい「通り」です。
ロマンチックな風情が漂い、散策する男女の仲はさらに深まります。
浅草公会堂(入口に芸能人の手形があります)・天麩羅の中清・喫茶アンジェラス・舟和・芋きんの満願堂・おいもやさん興伸等多数の有名店があります。細かい石畳の道も趣があり、人力車が必ず通る街路です。
いわゆる観音裏にある著名店です。
浅草のどの紹介本にも必ず掲載されるお店です。一番人気の「オムハヤシ」を注文しました。評判通り月並みに「美味」としか言い様の無い美味しさです。
この店だけでなく、浅草のどの著名店でも感じることですが・・・・・・・・よく「山の手」と「下町」と相対する世界のように比べられ山の手の「上品さ」と下町の「親しみやすさ」のような対比の言葉が使われることが有ります。
しかし、どちらにも「品格」という基準で判断すべきであると私は思っています。
このお店のご夫婦には親しみやすい「品格」が漂っています。お料理もそうですが、付け焼刃は利かないでしょう。
かなり以前に大阪の住吉大社の鳥居の前にある定食屋で遭遇した「関西のコテコテの挨拶」です。
(店の老齢の女将さんの客が帰るときの挨拶を再現します)
「お兄ちゃんおおきになにな、ありがとうな、また来てや」・・・女将さんの言葉の抑揚が表現出来ませんが、その場の雰囲気はご理解頂けるでしょう。
単純に感動しました。どの店でもこのような挨拶を当たり前のようには、しないでしょうが、関西に生まれたかったと思います。
私は長野県生まれですが、関西方面はちょっとした、外国であるかのような印象を常に感じています。異質な関西訛りとその抑揚が耳に心地よく響くのです。
作者の藤原ていさんは新田次郎の奥さんであるとは、この本を読むまで知りませんでした。
気象庁に勤務していた夫の満州赴任に同行し、終戦後地獄の逃避行をして日本に辿り着いた記録が記されています。
私の父(平成23年に95歳で死去)も中国戦線に従軍し、終戦時満州でソ連軍に捕虜として拘束され、シベリアで2年あまり強制重労働に従事しました。
昭和22年に帰国し、私と弟が生まれました。姉は4歳でしたが、初めて見る父を怖がったそうです。
現地で沢山の戦友が父の側で死んだそうですが、死ぬ間際に助けてくれたら何でもやると手を握り必死で訴えた戦友もいたそうです。それが父でしたら私も生まれていないわけで、今、何食わぬ顔をして生活していますが、父が生きて日本に帰ってきてくれたお蔭です。この世に生を受けたことに感謝しています。
この店がある場所は、地元から観音裏若しくは奥浅草と言われているエリアです。碁盤の目のように区割されているため、お店が見つけにくいのが難点です。
カウンター8席、奥にテーブル2卓の小さなお店です。ご主人が2年程前に亡くなられてから、孫娘さんがシェフとなっているとのことです。
ビーフシチューとトーストを注文しましたが、トーストがバター付きで賽の目切りになっているため、シチューのソースを絡めて食べやすかったです。柔らかくて大変美味しかったです。
同じ時刻に入店した4~5人のグループは食べログで探して来たようでした。
次回は、タンシチューにしたい。
毎週火曜日発売で、100週続くものです。
ROXの中の書店に申し込んで、毎週購入しています。
この社の毎週連続物はプラモデルが付いたり少しずつ組み立てるシリーズが多いのですが、この「週刊日本の城」は100週も連続することも今までにない特徴と言えますが、その最も特異な点は、各城郭ごとに毎週単位で完結するのではなく、各城郭の一部のページがバラバラにくることです。
購入者は途中で止めるわけには行かず、100週目に完結するのを楽しみにすることになります。
もっとも、城郭愛好家は、100週一部も欠けることなく購入すると思います。そのために書店で連続予約するのです。
永井荷風が亡くなる最期の浅草でのランチがここだと言われている。毎日正午に必ず浅草に現れたとのことで、荷風先生がお気に入りだったビーフシチューを頼んだ。なるほどガイドブック等に書いてあるように絶品であった。
ホールは店名に違わずアメリカ西部の雰囲気で、オールディーズや古いカントリーウエスタンが静かに流れており、身も心も舌もとろける位、気分がよかった。
お客も中高年が多いせいか静かで瞼もとろけそうであった。
テレビでの穏やかな表現の政治評論をいつも見ているが、この著書の内容は確たる証拠による断定ではないが、かなり説得力のある調査事実に基づいているとの感想を持った。
表題の人物は、言わずと知れた阿部総理大臣の母方の祖父である。満州国に関わった時代の記述にはやや背筋が寒くなる思いがするのは、私のみではないと思った。著者の調査・取材活動時に殆どの関係者が証言を避けたことからも推察される。
あまりにも頭脳明晰で、諸氏の追随を許さない実行力と深謀遠慮のなせる業であろうか、「先物買い」の記述の箇所では、「まさか・・・そのようなことは・・・、しかし・・・」と言葉にならない。
「その時代が創造した妖怪」なのか「歴史の推移を捻じ曲げた妖怪」なのか。