「なぜ詩集を手にするか」
過去の一時期、思い悩み打開策も出口も見えない暗闇に一人居るような状況がありました。宗教関連書・ハウツウ本・小説等ではとても「心の渇き」を癒すことが出来ない時にたまたま書店で「詩集」を手に取っていました。ほとんどの「詩」の内容が作者の「独り言」に映り、ページを繰っていた時急に「魂にカチン」と突き刺さるような詩に出会いました。
同じ詩集を読み返しても同じ詩だけが魂に響きました。
中原中也 また来ん春・・・
茨木のり子 根府川の海
杉山平一 退屈
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過去の一時期、思い悩み打開策も出口も見えない暗闇に一人居るような状況がありました。宗教関連書・ハウツウ本・小説等ではとても「心の渇き」を癒すことが出来ない時にたまたま書店で「詩集」を手に取っていました。ほとんどの「詩」の内容が作者の「独り言」に映り、ページを繰っていた時急に「魂にカチン」と突き刺さるような詩に出会いました。
同じ詩集を読み返しても同じ詩だけが魂に響きました。
中原中也 また来ん春・・・
茨木のり子 根府川の海
杉山平一 退屈
旅姿三人男(作詞 宮本旅人 作曲 鈴木哲夫)の歌詞の二番は、次の通りです。
♪富士の高嶺の白雪が溶けて流れる真清水で男磨いた勇み肌なんで大政なんで大政国を売る♫
この最後の「国を売る」がどうも解せないのです。
「国を売る」とは、通常国家に対する反逆を意味すると解しますが、任侠道にまっしぐらの次郎長の一の子分である大政が一体何をしたというのでしょうか?
教えて下さい。
私の失敗談なのですが、しかし「これって、どう思いますか?」
16,000円と記載したゆうちょの振込用紙で、20,000円を入金してお釣りを4,000円をもらう予定でしたが、うっかり送金額を入金した金額である20,000円とキーボードを押してしまいました。
領収書の送金金額欄には、当初記入した16,000円が記載されているのですが、予定したお釣りは戻ってきませんでした。
スタッフの説明では、送金先と直接交渉しない限り戻すことは不可能であるとのことでした。なるほど私の側のミスには違いないので、その通りでしょうが、しかし件のATMは音声を発するので「振込用紙に記載した金額と異なりますが・・・。」とのアナウンスがあっても良いのではとも思いますが・・・。
かなり以前に大阪の住吉大社の鳥居の前にある定食屋で遭遇した「関西のコテコテの挨拶」です。
(店の老齢の女将さんの客が帰るときの挨拶を再現します)
「お兄ちゃんおおきになにな、ありがとうな、また来てや」・・・女将さんの言葉の抑揚が表現出来ませんが、その場の雰囲気はご理解頂けるでしょう。
単純に感動しました。どの店でもこのような挨拶を当たり前のようには、しないでしょうが、関西に生まれたかったと思います。
私は長野県生まれですが、関西方面はちょっとした、外国であるかのような印象を常に感じています。異質な関西訛りとその抑揚が耳に心地よく響くのです。
弊事務所の応接スペースに2枚の肖像画が壁に掛けられています。
クライアントの株式会社ニテオさんに依頼したもので、2枚とも私の肖像画です。
作家は名古屋在住の「服部純栄」さんです。名刺にはイラストレーターとあり、具体的な作風につぃては素人の私がコメントで出来ませんので、是非弊事務所でご覧になって下さい。様々な画風の作家の中から、私の第一印象の直観で彼女を選びました。
この肖像画の特徴は、デザイン、色調等すべてに亘って私の意向や要望は無しに、作家の服部さんが数時間私と雑談をした結果のインスピレーションに基づき創作したものです。
朝事務所に出勤すると必ず2枚の肖像画の中にいる「私」と対話をします。この2枚の絵から私の「本質」が滲みでてくるのです。常に「ウキウキ」した状態でいるためにも必要な絵となっています。
ひと頃ファーストフード店で若い女性のスタッフがお客の来店時に決まって掛けていた挨拶言葉「いらっしゃいませ 今日は」を最近あまり聞かなくなったような気がする。早朝鳥が騒がしく鳴くようで耳に憑いて仕方が無かった。
人によっては、「可愛くていいじゃないか」とのことらしいが私にとっては耳障りであった。無理やりアメリカナイズしたマニュアル通りに騒いでいるとの印象が強かった。そのせいでもあるまいが20数年入店することは無かった。
私は和菓子屋が実家であったことから幼少時よりお客と接触する機会が多かったことのせいも有ろうかと思われるが、上京してから特に飲食店での「お客にへの挨拶言葉」が気になった。
私の満足というか当たり前の「お客へのあいさつ」は1.入店時に・・・いらっしゃい、2.レジの前で・・・ありがとうございます、
3.帰る時に・・・またお待ちしてますーーーである。特に3.が抜けている店が多いと思われる。うるさくて、嫌な客だなと思われるかも知れないが、この「こだわり」は無くならない。私は味より挨拶にこだわる偏屈な客である。だが、店の人にはもちろん何も言わない。言えば確実に1.の「いらっしゃい」は無くなるであろう。
2月24日の日曜日は東京マラソンの応援をしました。
午後にお客様が来所される予定でしたので、10時頃から江戸通り沿いで「応援もどき」をしましたが、先頭集団やカンボジア人の猫ひろしの走りにもタイミング良く出会いました。
冷たい風は吹きましたが、珍しく快晴でしたので、皆さん応援し易かった様です。
私は多くの人々の応援を受けるレースには出場したことが有りませんでしたので、走っている選手達は応援者をほとんど見ていないだろうと思っていましたが、こちらの応援に明らかに反応する選手がたくさんいることに、驚くと共に嬉しかったです。
やや大きめの黄土色のハンカチを下から上にすくい上げるように振っていると、特に外国人が視線を私の目に向け、様々な感謝のポーズや表情をするのです。前回以前に雪や雨が混じる悪天候で実施された時は、いきなりコースをずらして私を目がけて突進して来た外国人がいました。早口の外国語でまくしたてたので、何のことか一瞬判らなかったのですが、身振り手振りで私のハンカチを貸してくれという要求であったことがようやく分りました。なんと私のハンカチで雨に濡れて視界不良となったメガネを拭いていました。この時から東京マラソンの応援が楽しく感動的なものになりました。
今回は、約3万6千人の総参加者のうち3万5千人位が完走したとニュースが伝えていました。また来年元気で応援出来ることを祈りました。
私は団塊の世代です。ブログのイントロにこの書き出しを頻繁に使います。ご容赦ください。
昭和22年から24年生まれの団塊の世代は、3年間の生まれだけで日本の現在の総人口の5%もいるそうです。
子供のころは好き嫌いなど言える食生活の状況ではなく、国民の殆どが質素な生活であったと想われます。
今上陛下と皇后陛下のご結婚をキッカケにテレビが徐々に普及していきましたが、アメリカの一般の家庭のドラマの場面が今も眼に焼き付いています。大きな冷蔵庫・大きなビンに入った牛乳・バナナやオレンジなどの盛籠・大きなステーキ等が画面に映し出されて豊かなアメリカに強い憧れを持ちました。
この時日本の児童は、アメリカの援助物資である脱脂粉乳(不味い)を牛乳の代用として飲んでいました。質素な食生活と言っても良いと思いますが、その純日本食が健康体を造ってくれたと今は確信しています。
この様にして還暦に辿り着いた純日本風な私が突然「食の好み」が変わりました。
昔強く感じた「アメリカ」が呼び起されたのです。
「マ店」のテキサスバーガーや「フ店」のクラシックWWバーガーに「はまって」しまいました。
体や歯に悪いとしてしばらく避けていたコーラとバーガーが体にエキサイティングに浸み込んで行くのです。
今日もテキサスバーガーを注文したら明日からは「アイダホバーガー」に変わるとのことで、また強いアメリカに「はまり」そうです。1950年代の懐かしいアメリカが蘇ってきました。エルビス・プレスリーやコニー・フランシスの容姿とメロディーがハンバーガーやコーラと共に私の身体にメルトダウンしてきました。
バーガーを食べながら平均寿命まで突っ走れるかな?何とかなるでしょう。
私がいわゆる「断酒」をしたのは平成19年3月1日ですので、今月末で丸6年になります。
毎日浴びるように飲んでおりましたので、行きつけの飲み屋さんからは、断酒したのではなく違う馴染みの店を探したのだと思われていたようです。
全く飲まなくなったらしいと知れてからは、賞賛の言葉や誤解の言葉が降ってきました。
Aさん「あんなに飲んでいたのにピタット止められるなんて、なんと意志の強い人なの、根性があるね」
Bさん「断酒会や病院での治療で飲まなくなったの?」
Cさん「体を悪くしたの?」・・・・・・・等々
飲酒を止める直前の検査では、内臓疾患等は無かったのですが、脚気・うつ状態ありとのことで、大腿部の痙攣が耐えられない状況でした。断酒会や病院での断酒治療は受けませんでした。
特別なことは何もしていないのですが、強いて言えば「深層心理、潜在意識」に働きかけたということでしょうか。
心理学にはもちろん疎いのですが、飲酒の楽しさは思い浮かべず「飲むのが怖い」「飲んだ後が地獄」とのイメージを自分自身の深層心理に強く植え付けたことになるのでしょう。
簡単な日記を毎日つけ飲まなくてよかったとの想いを噛みしめるようにして文字にしました。
決して「意志の力」ではなく、「恐怖心」を鮮明にしそれを潜在意識に訴えた結果です。
すべての方々に当てはまるとは思われませんが参考になれば幸いです。
新しいホームページができましたので、初の「所長ブログ」を発信します。
表題は「外国語」についてです。
私はいわゆる団塊の世代と世に言われるところの昭和23年(団塊の世代では最多)生まれです。
中国語との関わりは還暦をすぎてからです。
ある語学センター所属の台湾人の主婦に個人教授(センターの中だけです。)をお願いしております。
各言語にはそれぞれ特徴があるでしょうが、中国語には「ピンイン(発音記号)」と「四声(発音の抑揚)」があり、その恐ろしい洗礼を受けました。
これの訓練のため、6~8か月も費やしましたが、あまりに単調なため強い睡魔に襲われ、先生に何度も注意されました。
私が生徒の中で最高年齢らしく、中高年の見学者にやる気を起こさせてようです。
税理士開業前は、国税局の国際関係部門に勤務していた期間がそれなりにありますので、英文には親しんでおりました。
在職中に韓国語を習得すべく、自費で韓国語の専門学校に夜間通いました。韓国語は読み書きに自信があります。
このように書いてくると、まるでマルチリンガルのようですが、3か国語とも会話には自信がありません。
中国語の学校の経営者は、タレントで「そんなの関係ねエ~の小島よしお」のお父さんです。
台湾人の先生が去年の秋からご病気のため現在授業を休止しています。
続きは、次回に・・・再見(ザイジエン)