佐渡遍路 さりげない自然に包まれた野仏
【佐渡遍路】は取引先の役員で佐渡出身の方からお誘いを受けたのがキッカケでした。その時は、「サドヘンロってなんですか?」という素朴な疑問形で佐渡遍路との関わり合いが始まりました。
四国遍路に関しては、一時期強い興味を感じて体験談やガイドブック等に傾倒した時期があり、強い憧れを持っていました。
たまたまの旅行先であった愛媛県松山市奥道後の四国遍路第51番札所石手寺で、早朝に一心不乱に経文を唱えるお遍路さんの姿を見て、大変感動したことがありました。この体験から四国遍路への憧れが更に強まりましたが、残念ながら四国遍路への機会は無く、この時から二十有余年を経て「佐渡遍路」に巡り合ったことになります。
初めての佐渡遍路の第一日目にお揃いの法衣を着て、佐渡汽船の降船口を出ると佐渡への観光客が驚いたように「佐渡にも八十八か所の遍路があるの?」と声をかけられました。初めての佐渡遍路でしかも第一日目であるにもかかわらず、なぜか誇らしげに「あります」と答えていました。
私は、真言密教系の寺院の雰囲気が好きで、特に細木を積み重ねて火焔がが立ち上がる中での加持祈祷や鐘・太鼓の音が体に浸み入る状況になると、半ば恍惚の状態と言ってもよいほどの「体質」を持っています。
ところが、佐渡遍路の札所の番号が進むにつれて気が付いたのですが、様々の賑やかな音の中での祈りではなく、あまりにも静かなのです。無住職の札所も多いこともありますが、「静かでさりげない自然の中に野仏がおわします」という雰囲気なのです。風雪に耐えた板戸を開ければ、そこには荘厳さの中に立派な仏様がおられます。とにかく周囲があまりにも静かなのです。
発心の場の何番目かの札所か忘れましたが、我々が視界から見えなくなるまで、ご住職夫妻が身動きもせず合掌されている光景が、いまだに目に焼き付いています。参加者全員が感動しました。
「四国西国及びもないが、せめて七日の佐渡遍路」とうたわれ、かつては、佐渡の人々のための遍路であったとのことです。しかし四国西国のミニュチュア版であるとは思わなくなりました。「さりげない自然に包まれた野仏」がたまらなく愛おしく想われるようになりました。
松尾芭蕉の「奥の細道」の序文にあります、「・・・予もいずれの年よりか、片雲の風にさそわれて、漂白のおもいやまやまず・・・」まさにこの心境です。
2017/09/11/所長ブログ